夜ノ街

私の好きなものの一つに、夜の街並みがあります。

一つ一つの街明かりに人々の存在を感じます。 ここには夜の街を描いた作品が掲載されています。


2023年 1800x255mm 
2023年 1800x255mm 

正夢

もう十年以上前の記憶だ。
雨が降っていて
霞んでいて
ボーッとしていた。
あまりにもぼやけてたから
夢で観たのかと勘違いした。
でも確かにこの景色を
何処かで観たのだ。
この目玉で。

探して探して
歩いて歩いて
くたくたで
小雨が降っていて。

そう
ここだ。

この
目玉で
観たものだ。


2003年 F40
2003年 F40

警笛

 

満月の日は新しい命が

たくさん生まれるそうだ。
しかしまた消えていく命も

多いらしい。

まんまるの二つのライトが

交互に点滅しながら、
灰色の金属音を轟かせた

開かずの踏切。


車も人も、

いらいらせぬよう、
おかしくならぬよう、
じっと耐えて待っている。

押し付けがましい警笛は

人々の安全を願う。

夜空の星も月も意識からは

かき消されていく。

夜空の満月に気付かない。

消えないかわりに
生まれない。


2006年 2150×1700mm
2006年 2150×1700mm

其其の雨音

 

厚い雲に覆われた向こう側には

きっと星空が輝いている。

飽きずによく降り続ける雨。

世の中全てが湿っぽい。

 

交差点は青と赤を繰り返して

しましまの橋を渡らせる。

とおりゃんせのメロディーと、

雨が織り交ぜるハーモニー。

すぐにまた雨音に戻る。

其々の頭の中はばらばらに過去も未来も行き来する。

 

今日の体育最悪だった

タクシーこないなぁ

パチンコでもやっていこうか

夕食は何にしようかしら

 

現れてはすぐ消える無数の轍。

ばらばらに。


2007年 M3
2007年 M3

箱の中の人

 

箱の中の人
目だけ開いてる
僕は回ってる
だけど止まってる
僕は無口になる
それも僕だから
なんてつまらない
なんて落ち着かない
君は細かくもなく
一つにも見えない…

『箱の中の人』
(滝本晃司)より


2010年 1445×700mm
2010年 1445×700mm

私の轍

 

この店を通りかかった時

私はつい足を止めてしまった。

見慣れたものからそうでないものまで

全てのありとあらゆるモノが一見無秩序に、

美しく絡み合っていた。

 

遥か昔も現在も混在する

私の頭の中を、

風のように通り過ぎた風景は

眠っていた記憶を持ってきた。


風呂で遊んだぐるぐる回る玩具

スナック菓子に似ている絨毯の布地

蚊取り線香のにおい

ナイター中継…

 

何を見ても満ち足りていたのは、

過去が絡まって

良く見えなくなっていたからか。


解いて

美しく絡み直す。

 

人通りのない

眺めの良いこの場所で、

見えない片目をしっかりと開き、

不自由な片足をソファーに埋め、

今日も店主は

ハイライトを吸っている。


2010年 M10
2010年 M10

空蝉

 

古新聞からおむすび


老夫婦が息子の帰りを待つ様を歌った歌詞

思い出す。

 

夕方から朝のラッシュまで

無人駅になるそのホームでも、

人々の表情は豊かな毎日。


大切に過ごしても

出鱈目でも

日は登り日は沈み過ぎて行く。

 

どうって事のない風景に隠れた刹那へ目を向けると、

自分の都合などちっぽけなものだなと

実感する。

 

もう汽車はきません

とりあえず今日は来ません

今日の予定は終りました…

 

この世の人々が織り成す様。

 

空蝉


2010年 M30
2010年 M30

雨音色

 

二十歳になるまでシャワーがなかった。


昔ながらのタイル張りの床

コンポーズグリーンのコンクリ壁が

浴室の記憶

 

成人した男がやるような事ではないのだが、

浴槽に浸かり、

水面に向かってシャワーを落とす。

そのシャリシャリとした音が大好きで

湯気の中で癒された。

 

よく雨が降る年だった。

 

雨傘に当たる雨粒の音や光は大好きだ。

ポチパチと弾ける雨粒の音。

 

多分

金色だと思った。


2010年 M10
2010年 M10

キオク

 

懐かしく

通り過ぎる

 

形を変えて

色も変えて

通り過ぎる

 

思い出のような

轍のような

忘れても

覚えている

 

キオク


2010年 M10
2010年 M10

ヨモヤマノヨル

 

幾多の分かれ道を下り

突き当たりを登った。

日が暮れて街に明かりが灯る頃、

もう来た道を辿れないほどの

交差点を曲がって、

この高台へたどり着いた。

さっきまでバイクで走り続けた

道々を見下ろすと、

どこまでも続く沢山の明かりと家々

道や人が広がった。

四方見ていて飽きなかった。

 

一つ一つの明かりの中で、

さまざまな話題を

交わしているのかもしれない。

街灯の下でばったりと出くわした

二人が立ち話をしていたり、

道一本違えたところで

友人が困っていたりするだろう。

その脇で顔の知らない人同士が

すれ違っていたりする。


そんな図らずも並び交わり

向かい合い連なり続ける様が、

世間というものなのかもしれない。

四方山とは上手く言ったものだ。

 

さてと

帰る支度をしたその時、

私は迷子だった。


2011年 1450×700mm
2011年 1450×700mm

帰路線

 

2011年3月10日

この絵が出来た。

 

この見下ろした賑やかな町並みを辿って

帰らなくちゃ。

どこまでも続く明かりを辿れば、

たとえ道に迷っても

帰り着く自信がある。

こんなにも明るい夜なんだ。

迷うなんて有り得ない。

そう思う。

 

そう思っていた。


何気なく観ていた景色

何気なく感じていた風景

何気なく受け入れる方法を忘れたようだ。

 

あの時

筆を置き自分から生まれた作品が、

こんなにも大きくなった。


2010年 S100
2010年 S100

生活の柄

 

-高田渡-

 

歩き疲れては

夜空と陸との

隙間に潜り込んで

草に埋もれて寝たのです

ところかまわず

寝たのです

・・・・・・

 

活気ある町

明るい町

涼しい

暖かい

部屋


坂を下る若者

坂を登る母子

テレビを見る

洗濯をする

会話をする

歌をうたう

文章を書く

 

絵を描く

 

2011年夏。

節電からいろいろな場所で暗がりが生まれたが、

これまでにも増して

『普通』

『安心』

を見つめ直す事が容易くなった気がした。

 

幸せの形が皆

なにか似たり寄ったりなのが現代だとするなら、

その様式が似たようなものになるのも頷ける。

 

全ての家々に明かりが点もる町

ぞろぞろと坂道を下る若者たち

坂を上る母と子

 

私の想う幸せな風景は

これじゃないなと思う。

服の柄は皆違うのだ。

生活に柄があるならば

こんなに似ているはずはない。

 

世の中の柄は

私の服よりセンスが悪い。

 

歌いましょう。


生活の柄


2010年 M10
2010年 M10

ヒカリノオカ

 

今はもう出来ない。


目を見開き車間をすり抜け弾丸のように突っ走ると、

周りの景色は縮み

前方に集まる。

夜はなおさらに光と音のみが現れては消えてゆく。

 

待ち合わせに遅刻しそうだ。

急いで国道を駆け抜けて

記憶もあやふやな歩道橋下を右へ

丘と田畑を抜ければ何とか間に合いそうだ。

アクセルを開く。

・・・・・

 

スタンドを倒し眺めていた。

眼球の左で通り過ぎるはずの帯が今はしっかりと目の前にある。

一つひとつの明かりに気配を感じて心地好い。

 

一体今まで何幾万の灯を駆け抜けて来たろうか。

ひたすら前を見て走ってきた。

だいぶ目も悪くなった。

・・・・・

 

エンジンに火を入れ

待ち合わせ場所に向かう私は、

遅刻をした。


2015年 M20
2015年 M20

シアワセノホシ

 

この夜景を忘れない。

 

ここから帰る途中

何度消えた信号機を潜ったか。

テールランプの帯をかい潜り

蛇行する山道を登り降り

映りの悪いワンセグが繰り返す北の大地の名。


怖いのか

楽しいのか

気持ちの居所が解らなかった。


深夜、見慣れた玄関の扉を開けた向こうには、

いつものまま

ねじれて眠る猫がいた。

 

幸せは

なるものでなく

感じるものだと、

あの夜景を

描こうと思った。


2012年 2150×1700mm
2012年 2150×1700mm

夢現

 

300Mを越えるこの塔を

人間の手が組み上げた。

 

目の眩むようなこの眺めで
造られた都市の形を知った。

未だ
創造を生業とすることが叶わない自分と
この今の都会を重ねて、
夢と
現が

混ざったものを、
遠く人智を越えた青色い造形物に見た気がした。


2013年 M8
2013年 M8

夢雨 -ムウ-

 

よく見えない。

埠頭に向かう大きな橋から
目を凝らす。


思い出す
変な夜。

晴れた日に再び訪れれば

見慣れた街。


おかしいなと

夢の続きを見に
眠りに行くが、
なかなか
出会えない
そんな風景。

思い出せない
夢のような
雨だった。


2015年 M8
2015年 M8

 

暮レテユク
タダ暮ラス
タダ暮シテユク
タダ暮シテイルダケ
ソレダケデ


2014年 M10
2014年 M10

虹時

 

明かりが灯り 街になる
西から東へ
北から南へ
道は冷たく続く

僕が眠る頃
愉しげな光は集まった
悲しげな光は行き過ぎた

そうして
こうして
トウキョウは
虹時


2015年 M10
2015年 M10

雨々

 

はじめは しとしと

そのうち ポツポツ

だんだん パラパラ

いよいよ ざあざあ

夏の雨

秋の雨

トウキョウ
さめざめ


2015年 M10
2015年 M10

時雨

 

震災以降

私は

美しさや

綺麗さを

感じられなくなっていた。
こんな時代だからこそ必要なはずなのに

感じない。
今まで無意識だった当たり前だった事が

解らなくなった。

スカイツリーが完成する。
東京タワーがその役割を終える。
正式名称は日本電波塔。
長い間東京のシンボルだった。

ある日高速を降りた時、

その電波塔に雨が降っている風景が広がった。
久しぶりだった。
12月のことだった。

 

綺麗だと思った。
色んな事が変わるんだと気がついた。
本来の言葉の意味とは違うけれど
『時雨』

という絵を、

描こうと思った。


2013年 1450×700mm
2013年 1450×700mm

スミカ

 

水のなかで広がった紫の雲と
広がった水浅黄色の手

 肥大し続けた身体には
 守る役目をわすれた

小さな貝殻の名残

無造作に浜辺で寝転がっているけれど

 昔々からここを住処にしてきたんでしょ?
 
これから仲良くしよう
雨虎
 

君と僕は
 アメヲヨブ 


2013年 2150×1700mm
2013年 2150×1700mm

富ノ遺産

 

世界遺産が見える丘から

異国のような町が広がる。

形も

色も

人も

きれいに整っている様と

昔からあったような錯覚を

見せつけてくる。

 

大きなもの

ちいさなもの

きれいなもの

きたないもの

残したくないもの

のこしたいものも

 

すべては

遺産になると

尾根が言う。

 

 


2016年 M10
2016年 M10

都雨


日が

暮れて


空が

雲で

覆われて


やがて

雨が

降りだして


土から

遠く

離れた

人たちの

営みが


霞んで

見えなくなりました


2017年 M6
2017年 M6

夜虹

虹を見る前は決まって雨が降る。

虹を見るときは決まって太陽がいる。

 

稲妻

突風

積乱雲

 

全て

昼も夜もお構い無しだ。

 

この日の名古屋は

猛雨か

激雨か

 

夜にも虹が出るのだと
思い込んでみたら

雨で乾いた心が

みるみる潤ったので

震えながら見た夜中のビル群に

虹が見えた

・・・気がした。


2017年 M10
2017年 M10

 

ここには早い夜がある。

僕らとは違うリズムで
水平線へ向かう支度をする。
空と話し、風を聴いてから
エンジンに火を入れ
闇へ消えて行く。

夕暮れ前は
薪を囲んで
語らう真っ黒な男たちが
海を見ながら
呑んでいる。

ここには早い夜がある。
しばらくするとまた
エンジンが音を点て
闇へ消えて行く。



2017年 M10
2017年 M10

南風

ついさっきまで東京を眺めていた山のてっぺんから

生ぬるい風に誘われて

反対側へやってきた。


真っ黒な海から吹いてくる

それは

見覚えのある景色を

見慣れないものに

変えてしまう。


架かる橋が

記憶と重なるまで

暫く時間がかかった。


心地よくなかった。



2017年 M10
2017年 M10

熱帯夜

からだのまわり


そこいらじゅう


まちのすみずみ


あのまちこのまち


うえからしたまで


にげられず


あきらめる




2014年 2150X1700
2014年 2150X1700

山間に

女たちが集った町には

異国の人々とともに

つくられた

おぼろげな

気配がある


七夕の日


年に一度会えるのだから

幸せ


でも

今年は少し

霞んでいる


おや

催涙雨


そうか

また来年


2016年 1500x750mm
2016年 1500x750mm

ムカシムカシ


むかしむかし

あるところに

おにいさんと

おねえさんが

こよなく愛した

呑処がありました。


おにいさんは

山菜のおひたしと

レバ刺しに

砂肝


おねえさんは

川海老の唐揚げと

鳥刺しに

つくね


おねえさんが

川海老を箸で摘まんでいると

ドンブラコ

ドンブラコと

大きな鍋物が運ばれてきました。


「おや、これはまた」


おにいさんと

おねえさんは

美味しそうに

食べました。




とても天気のよい昼下がり

おじいさんと

おばあさんの

目は、

広い広い駐車場を

見つめています。


「ムカシはなぁ……」


「ムカシはねぇ……」




2015年 2150x1700mm
2015年 2150x1700mm

moneyquin


たくさんの欲望に

火をつけるため

私たちは着飾っております。


あなた方が

私たちを見て

私たちと比べて

私たちに憧れて

お似合いの洋服を

お探しになるうち

あれも欲しい

これも欲しいと

なるわけです。


ですから

少し悲しくなることもあるけれど

私たちは

いつも同じ姿勢で

いつも同じ表情で

お店の前に立つのです。


それでいいのです。

それがお仕事です。

たくさんお買い求め下さい。

どんどんお買い求め下さい。


あなた方が

私たちのようになるまで。



私たちが欲しいもの

それは

左手です。



2014年 1450×700mm
2014年 1450×700mm

烏 ‐

なんの約束も
決まりもなく

カラスと鷺が
寄り集まっては
泣きながら
七つの子のもとへ
帰ります。

太陽の中にはカラス 
月の中にはウサギがいて
それぞれが
毎日
大空から
見守っています。

不自然な
自然を
街と呼ぶように
なったけれど

本当は
そこには
何もないのです。

流れているのは
月日です






日本画 院展 箔 箔画 箔絵 近藤仁 空翠会
2016年 2150×1700mm

村雨

初めて昇った

高い塔から見えたのは

ちぐはぐな霞み方をした

光でした。


西の方から段々と

ぼんやりが広がっても

反対側の

星空のような街は

堂々としていました。


見渡せたことのない

大きな風景には

人と自然が

ただただ

ひしめき合っていて

ひとしきり降っては

止む雨を

ぼーっと眺めておりました。



冗談のようでも

恐ろしく真面目な

鈍く

鋭い光が

街でした。



日本画 院展 箔 箔画 箔絵 ピアニカ 近藤仁 空翠会
2021年 M10

まどろみ

いつまでボーッとしたままで

ぼんやり突っ立っているんだろう

そろそろ目を醒ましてほしいのに

どんどん霞んでいく

今はもう

よくみえない

思い出せない。


2021年 40号変形(1000X478mm)
2021年 40号変形(1000X478mm)

光芒

見渡せた遥か遠くの道まで走り抜け

箱根まで向かう前に

しっかりと目に焼き付けた

夕暮れの富士山。

 

金茶色の空と

富士山

江ノ島

それぞれの生活の柄を

はっきり見て取れる家々の灯り。

そして

箱根までの道のりが

この風景画へと

筆を運ばせた。

 

 

 

雲ひとつなく

暗くなるまで富士さんが見える日は

珍しいのよ

 

毎日

何十年と散歩し

この風景を楽しんだ老夫婦が

静かに教えてくれた。

 

 


2021年 10号変形 530mmX253mm
2021年 10号変形 530mmX253mm

夜ノ光芒

暮れていく。

柔らかい光は

見かけよりも

冷たく

酷なものです。

 


2021年 1000X1000mm
2021年 1000X1000mm

夢幻泡影

世の中から
押し戻された人で
溢れている。

窓際のワークスペースで
画面から天気を知る
影が横切る。

県境を挟んで
縄跳びをする
弧を描いている。

細かく弾ける音が
紙を揉む音に似ている
鳴いた気がする。

幾万の他愛もない話が浮かんでは消えて
一日が終わる。
動いているものがだいぶ減ったように思う。
夢かもしれない。

2022年 10号変形 580×280mm
2022年 10号変形 580×280mm

虚塔

昨晩は雨が降っていた筈で

今は遠くまでよく見えていることだろう。

あのとき

村雨が残して行った湿度を

あちこちの路地はため込んで

今日までその懐に人々を受け入れ続けてきた。

 

西から登った日月は

東へ沈む。

 

水は高い方へ流れている。

 

まだほとんど

気づいていない。


更新

8月31日

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