ミナモ

私の好きなものの一つに、水面があります。 水に関するものに何故か心を惹かれます。
ここには水面に関する作品を掲載しています。

2023年 P6
2023年 P6

água deliciosa-おいしい水-

a chuva que caiu
 embebido em
 muito tarde
 Transbordando da cidade no sopé da montanha.
 bem bem
 água deliciosa.

降った雨が
染み込んで
ずっと後に
麓の街から溢れ出る。
それはそれは
おいしい水。



2022年 F6
2022年 F6

金青ノ富士

紺青はその昔

金青と表現されていた。

この霊峰から湧いた水で

世界一のwhiskyを作って欲しいと願い描いた。

後にわかった事ではあるが

私の尊敬してやまない先輩の

誕生色は

金青であった。


2003年 M30
2003年 M30

沼に咲く木漏れ日

 

『底無し沼だからあそこへ入っちゃだめ』

『危険ですので立入を禁止します』

よく悪戯をしたその沼を10年ぶりに訪れた。
遊歩道ができ、
桜は満開。
沼はコンクリートで固められていた。

遊歩道の脇には小川に似た流れが創られていたが、
行き場を無くした花びらがひしめき合っていた。


沈んだ花びら。
浮かんだ花びら。

あの底無しの沼に想いを馳せながら、
差し込む木漏れ日を見ていた。


2003年 1800×255
2003年 1800×255

蝉時雨

 

ポツ

ポツ

 

ぽつ


2003年 F20
2003年 F20

空の涙

 

カナカナカナ

蜩(ひぐらし)が夜を呼ぶ

声は重なり
混ざり
また沈黙する

左から
右から
カナカナカナ


2003年 1445×700mm
2003年 1445×700mm

ダンス

 

さっきまでたくさんの傘が咲いていた夜の繁華街は、

水溜まりと人々で賑やかだった。

ネオンが埋めつくす建物の中は、

きっと愉しみであふれているだろう。

 

私は水溜まりを飛び越えているところ。

次は左足で踏み切ろう。

今度は両足て着地してみよう。

 

また雨粒が堕ちて来た。

ネオンがゆがむ。

傘が咲きだす。

 

私は一人。


2005年 M10
2005年 M10

澱み

 

大学を出てから何を描こうか考えていた。
ふらふらと散歩を繰り返す毎日。
慣れは真新しさを食べてしまうようで、
何を見ても心が反応しない。

どうやって抜け出せばよいのか…
とりあえず手を動かす。


今こうして久しぶりに対面すると、
澱んでいたのは水面ではなく、
私だったのかと思わずにはいられない。


2005年 M10
2005年 M10

よどみ

 

よどんだ自分がもう一枚

懐かしい


2004年 M10
2004年 M10

すすき(下)

 

ゆがむ


2006年 M10
2006年 M10

各駅停車

 

夕方
澱んでいた私は、
いつものようにフラフラと散歩へ出かけた。
ゆっくりと鉄橋を進む。
黄色い各駅停車が見えた。

乗客の表情がしっかりと見てとれるスピードで、
次の駅に止まる準備をしていた。

一駅づつ
丁寧に停車を繰り返しながら、
様々な人々を運んでいる。

その一人ひとりの頭の中を覗いたような残像が、
形を変え、
色を変え、
水面に浮かんだのを見たとき、
スッキリとした意欲が湧き出した。

手にとれない人の気配。

何を描くかで悩んでいた私が
何を表現したいのか真剣に見つめたこの頃。
今思い返せば、

長い制作人生の1テーマをここで手に入れたような気がする。


2005年 M10
2005年 M10

どんこう

 

毎日色々な表情をみせてくれるものは

世の中にいろいろあるものなんだなと思う。

 

時間が変わり

天候が変わり

いつもの土手でまたうずくまる。

 

今日は良い天気だった。

風も穏やかで

ゆったりとした一日だった。

 

揺らぐ各駅停車には、

どんこう

という呼び名が

ふさわしい。


2006年 1445×700mm
2006年 1445×700mm

最終電車

 

花見川と名前が付いてはいるが、

正直花のイメージからは掛け離れた川が流れている。

サイクリングロードは延々と

50キロ上流まで続いていて、

少年の思い切った旅の

行き先だったその道の最後は、

ひょうたんのなる

鄙びた畑で終わっている。

 

列車から見ていた川が、

それだと気づくまで

すっかり忘れていたが、

旅の終りに出会った

あの切ない光景。

帰り道はなんと遠く感じた事か。

 

ただ帰りたい。

ペダルを漕いだ。

秋の夕暮れだった。

 

太平洋へ向かって流れる水の上を

直角に 終電が家へ向かう。


2006年 M10
2006年 M10

各駅の憂鬱

 

傘に付いた水滴と湿気で蒸した車内。
頼りないエアコンのドライ機能。
手摺りに掛けられたままの忘れられた傘。

憂鬱な風景

傘をさして水面を見つめ続ける。
疲れ
苛立ち
この労力は無意味だと自分にぶつけてはあきらめて、
また見つめては苛立って、
気持ちは萎んで。

それでも土手下にうずくまり続けた私は、
徐々に憂鬱の向こう側へ足を踏み入れてゆく。

濡れたシャツも
スケッチブックも
持ちづらい傘も
何も気にならない
どこまでも行ける
そんな気分になった。

何時間か経った頃
出会う一本の美しい線。
車窓から漏れた明かりが
雨粒で砕かれた一瞬に
ときめく。

どうやら
憂鬱の向こう側には
新しい景色が広がっているようだ。


2006年 M10
2006年 M10

あまガエリ

 

後ろ足たくましく
鼓膜丸出しで
指の間に水掻き
平泳ぎ
下瞼を閉じ
指先に吸盤
オスは鳴く
食べ物はイキモノ

カエルが

帰りの電車を見送り
飛び込んだ


2005年 F15
2005年 F15

夕凪


風が止まった
海と陸の呼吸が揃った

朝と夕に一度づつ
凪が来る

すっかり落ち着いた漁船も
遠くに見える細い運河も
ゆっくりと碧の中へ浸ってゆく

まばたきをした後にだけ
暮れている事に気がつくような

ゆったりとした時間
やがて碧は漆黒へと変わり
陸からの風が海へと向かうころ
すべてが眠りにつく

夕凪のあとの風は
全てのイキモノの寝息から

生まれる


2007年 M30
2007年 M30

Water Express

 

空港からは今日も

今も

季節を飛び越え飛行機が飛んでいく。

 

アタッシュケースに

トランクに

沢山の想いを詰め込んで

空港へ向かう人々が見えた。

 

座席に座る疲れたサラリーマンは

羨ましそうに

恨めしそうに

紅いスカーフを睨み、

車内を行ったり来たりするビールの缶には

関心がない。

 

何百もの

人々は家路に着き、

飛行機は飛び立ち

缶は捨てられ続けている。

 

人々を乗せたline

黒い水面を飛ぶ。


2008年 M20
2008年 M20

ためいき

 

毎日まいにち
家と職場を行き来する人々。
次々と扉の中へ足を踏み入れてゆく。
そこかしこで吐き出されるためいき。
吐き出してまた
次へ進む。

毎日まいにち
水がゆらいでいる。


2010年 M30
2010年 M30

回想ライン

 

帰る

来る

行く

去る

 

つまりは

死ぬ

生きる

 

全ては

めぐり

回る


2010年 F30
2010年 F30

外待雨 ーホマチアメー

 

特定の人に降る雨

局地的な雨のことを

そう呼ぶ。

 

雨男が本当にいるならば

それは僕だった。

全ての行事という行事を

暗く分厚い雲の下で繰り広げ、

なにもかもを湿らせてきた。

仲間も家族も

僕を雨男と呼んでいた。

 

人が何かを待つ時

祈ることがあるだろう。

待たれる側も

待っていてくれと

願うことがあるだろう。

 

来ないでと祈り

降らないでと

願うこともある。

裏切られた時

期待外れな場合

祈りと願いをまぜこぜにして、

怒りや諦めに換える。

 

そうして出来上がった

雨男。

 

僕に降る雨は

外待雨。

 

雨を

待っている。


2017年 M6
2017年 M6

逢ワセ鏡

海の側にある

遊園地。

水面にも

遊園地。


初々しい二人が

ゆっくりと坂を登り始めた。

景色は徐々に

遠くまで繋がりだす。


手に汗握る側と

にこにこ笑う側が

隣り合わせで座り

山の頂点で止まった。


歯を喰いしばる側と

笑いが止まらない側。


猛スピードで

乱高下を繰り返す。


下り終えると

ほっとする側。

がっかりする側。


また坂にさしかかると

次の準備をする側。

わくわくが始まる側。


登り始めると

また

手に汗握る側と

にこにこ笑う側。


ここは

海の側にある

遊園地。

水面に映るも

 

遊園地。



2020年 P6
2020年 P6

丘に立っているのに

風がない。

遠くの街灯りは

だんだんと滲んできた。

 


更新

2月29日

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