2003~2010

私の好きなものの一つに、水面があります。 水に関するものに何故か心を惹かれます。
ここには水面に関する作品を掲載しています。

はだしの足音

2008年 2150×1700mm
2008年 2150×1700mm

 

黄色

白のシマシマ

必要以上に名前を主張した

水泳パンツ

バスタオルに水中眼鏡

フーセンガム

 

前カゴに放り込んだら

市営プールへ

あの公園で坂本君も

待っている

彼もガムを噛んでいるはず

思い切りペダルを漕ぐ

 

水から上がった後の

バスタオルは暖かくて気持ちいい

塩素の匂いがたっぷり

染み付いている

更衣室は緑瑠璃色

何百と並んだコインロッカー

誰かが取り忘れた100円玉は

アイスキャンディーに代わる

 

 

少しぎしつく髪の毛を

なびかせたら

ゆっくりとペダルを漕ぐ

夏の昼下がり


ヒカリノオカ

2010年 M10
2010年 M10

 

今はもう出来ない。


目を見開き車間をすり抜け弾丸のように突っ走ると、

周りの景色は縮み

前方に集まる。

夜はなおさらに光と音のみが現れては消えてゆく。

 

待ち合わせに遅刻しそうだ。

急いで国道を駆け抜けて

記憶もあやふやな歩道橋下を右へ

丘と田畑を抜ければ何とか間に合いそうだ。

アクセルを開く。

・・・・・

 

スタンドを倒し眺めていた。

眼球の左で通り過ぎるはずの帯が今はしっかりと目の前にある。

一つひとつの明かりに気配を感じて心地好い。

 

一体今まで何幾万の灯を駆け抜けて来たろうか。

ひたすら前を見て走ってきた。

だいぶ目も悪くなった。

・・・・・

 

エンジンに火を入れ

待ち合わせ場所に向かう私は、

遅刻をした。

箱の中の人

2007年 M3
2007年 M3

 

箱の中の人
目だけ開いてる
僕は回ってる
だけど止まってる
僕は無口になる
それも僕だから
なんてつまらない
なんて落ち着かない
君は細かくもなく
一つにも見えない…

『箱の中の人』
(滝本晃司)より

 

 


生活の柄

2010年 S100
2010年 S100

 

-高田渡-

 

歩き疲れては

夜空と陸との

隙間に潜り込んで

草に埋もれて寝たのです

ところかまわず

寝たのです

・・・・・・

 

活気ある町

明るい町

涼しい

暖かい

部屋

 

坂を下る若者

坂を登る母子

テレビを見る

洗濯をする

会話をする

歌をうたう

文章を書く

 

絵を描く

 

2011年夏。

節電からいろいろな場所で暗がりが生まれたが、

これまでにも増して

『普通』

『安心』

を見つめ直す事が容易くなった気がした。

 

幸せの形が皆

なにか似たり寄ったりなのが現代だとするなら、

その様式が似たようなものになるのも頷ける。

 

全ての家々に明かりが点もる町

ぞろぞろと坂道を下る若者たち

坂を上る母と子

 

私の想う幸せな風景は

これじゃないなと思う。

服の柄は皆違うのだ。

生活に柄があるならば

こんなに似ているはずはない。

 

世の中の柄は

私の服よりセンスが悪い。

 

歌いましょう。

 

生活の柄

 

其其の雨音

2006年 2150×1700mm
2006年 2150×1700mm

 

厚い雲に覆われた向こう側には

きっと星空が輝いている。

飽きずによく降り続ける雨。

世の中全てが湿っぽい。

 

交差点は青と赤を繰り返して

しましまの橋を渡らせる。

とおりゃんせのメロディーと、

雨が織り交ぜるハーモニー。

すぐにまた雨音に戻る。

其々の頭の中はばらばらに過去も未来も行き来する。

 

今日の体育最悪だった

タクシーこないなぁ

パチンコでもやっていこうか

夕食は何にしようかしら

 

現れてはすぐ消える無数の轍。

ばらばらに。


待つ

2004年 2150×1700mm
2004年 2150×1700mm

 

木々は待つ

春を

漣は待つ

凪を

土は待つ

雨を

草は待つ

日差しを

田は待つ

稔りを


私は待つ

 

 

寝息

2003年 2150×1700mm
2003年 2150×1700mm

 

真冬
草木は土の中で眠る
その息吹は大地を這い海を渡り
やがて春の空気とすれ違う
枝は夏の間
空をめがけその腕をどこまでも広げた
やがて葉は土へ還り

残されたその腕は眠っている

 

枯れていない
ただ待っている
地球の反対側の風が届くまで
スヤスヤと眠り続けている

わずかな若葉が
今にも枝の節目から顔をのぞかせようとしている

そろそろあの寝息は
地球の反対側に届いただろうか


まほろば

2006年 1450×700mm
2006年 1450×700mm

 

東京近郊を転々としている
埼玉に住みはじめた頃
海も山もない土地をあてなく走っても
ただ平らな大地が果てしなく続いた

私に何も入らないその風景は退屈そのもので
見たものが頭の後ろから
すぐに遠ざかっていった
やがて
自分の理想的な場所とは一体どんなところか考えたが
全く見当がつかないまま
再び引越しの準備に入っていった
思い出してみれば
どこにいても
飽きる度に去る事を
繰り返している

どっしりと腰を据え
変わってゆく事を受け入れ
生き続けたものたちは
風景になる

私が
まほろばに出会う頃には
私自身に
懲り懲りしていることだろう

綺麗な青空に
大きな入道雲が一つ
聳えている
外し忘れたカーテンが
丸く風を抱え
すぐに放した

さようなら埼玉
こんにちは神奈川

うつしおみ

2008年 M10
2008年 M10

 

埼玉からここへ移り住んだ

駅前の大銀杏がこの町のシンボルだとすぐに気がついた

ここに住むことにした理由の一つに

この風景があった

住人は少ないが

この木の前を通り

この町を出る

 

ある日

人々のうつしおみを見つめてきた

この大きな木が切り倒された

一段と広くなった青空

 

これも空蝉と

私は都心へ向かう


イキモノヂルシ

2008年 F10
2008年 F10

 

続々と 少年少女が集まって来る

縦笛が飛び出した ランドセル

ジャングルジムの脇が 彼らの 待ち合わせ場所なのか

 

若葉が芽吹く

 

春先の学校は 早くに終わった気がする

新しい友達ができると

それまで以上に 放課後が 楽しくなったものだ

 

枝がのびる

 

大きくなれ

大きくなってまた

アツマレ

大きくなっても

ノボレ

何があっても

大きくなあれ

 

咲いて

枯れて

散って

待ち

 

また咲いた

 

 僕タチ

イキモノ

子実体

2010年 M30
2010年 M30

 

小学生の頃

昼寝している隙に家猫が窓の隙間をくぐり抜けた

目が覚めた夕方

何者かに蹴り殺された彼の死体が

隣の家の軒下から見つかった

学校からの帰り道は

決まって裏の森でキノコを採って帰る子供だったが

その森に母と弟は

泣きながらその屍を埋めに行った

父は私を猫殺しと罵り

それから私は父も猫も嫌いになった

 

25年たったある日

二匹の猫を飼おうと思った

森で見つけたキノコのせいなのだろうか

ただ木漏れ日を探しに森を訪れただけだった

 

私の脇に猫が二匹居る

 

私は

追いかけているのだろうか

追いかけられているのだろうか

暑くて寝苦しい


キラワレモノノ図

2010年 S100
2010年 S100

 

キラワレモノが

雨上がりの夜に 集まった

ほらよくみてごらん

キラワレモノタチを

教えてごらん

キライなわけを

 

何となくなんて

見ないで

それとなくなんて

話さないで

ヤツラは 許してくれないよ

 

美しい夜に

キラワレモノタチが

話し合って 決めたらしい

 

キミタチヲ

キラウコト

あゐゐる

2007年 1150×1150mm
2007年 1150×1150mm


重ね方で
青が
黒や深緑に 変わる絵の具がある
昔から使われてきたその染料は溶いた 指も筆も紙も
青くしてしまう

日本藍





全て
深い色に

包まれていた

それだけの理由が
材料を選ばせた

幾度の冷や汗
次を生む
苦し楽し
あゐゐろ

 

あゐゐる


ラムネの秘密

2007年 M30
2007年 M30

 

シュワシュワとこぼれ出す

慌てて口元に運べばコカラコカラとビー玉が遊ぶ

小学校脇に在った和光堂という駄菓子屋が

僕らの少ない小遣いの使い道だった

 

今まで沢山の事があった

泡の数ほど

花の数ほど

沢山の事があった

 

そんなことを想わせた風景の向こうには

まだまだ沢山の事が待っているのだろうか

 

丁寧に踏み潰しながら

向かう

 

 

冬の蝉

2006年 1445×700mm
2006年 1445×700mm

 

夢の間

冬の光

確かに

鳴いていた

寒い朝


キオク

2010年 M10
2010年 M10

 

懐かしく

通り過ぎる

 

形を変えて

色も変えて

通り過ぎる

 

思い出のような

轍のような

忘れても

覚えている

 

キオク

 

 

ヨモヤマノヨル

2010年 M10
2010年 M10

 

幾多の分かれ道を下り

突き当たりを登った。

日が暮れて街に明かりが灯る頃、

もう来た道を辿れないほどの

交差点を曲がって、

この高台へたどり着いた。

さっきまでバイクで走り続けた

道々を見下ろすと、

どこまでも続く沢山の明かりと家々

道や人が広がった。

四方見ていて飽きなかった。

 

一つ一つの明かりの中で、

さまざまな話題を

交わしているのかもしれない。

街灯の下でばったりと出くわした

二人が立ち話をしていたり、

道一本違えたところで

友人が困っていたりするだろう。

その脇で顔の知らない人同士が

すれ違っていたりする。

 

そんな図らずも並び交わり

向かい合い連なり続ける様が、

世間というものなのかもしれない。

四方山とは上手く言ったものだ。

 

さてと

帰る支度をしたその時、

私は迷子だった。

 

 


雨音色

2010年 M30
2010年 M30

 

二十歳になるまでシャワーがなかった。

 

昔ながらのタイル張りの床

コンポーズグリーンのコンクリ壁が

浴室の記憶

 

成人した男がやるような事ではないのだが、

浴槽に浸かり、

水面に向かってシャワーを落とす。

そのシャリシャリとした音が大好きで

湯気の中で癒された。

 

よく雨が降る年だった。

 

雨傘に当たる雨粒の音や光は大好きだ。

ポチパチと弾ける雨粒の音。

 

多分

金色だと思った。

 

 

空蝉

2010年 M10
2010年 M10

 

古新聞からおむすび

 

老夫婦が息子の帰りを待つ様を歌った歌詞

思い出す。

 

夕方から朝のラッシュまで

無人駅になるそのホームでも、

人々の表情は豊かな毎日。

 

大切に過ごしても

出鱈目でも

日は登り日は沈み過ぎて行く。

 

どうって事のない風景に隠れた刹那へ目を向けると、

自分の都合などちっぽけなものだなと

実感する。

 

もう汽車はきません

とりあえず今日は来ません

今日の予定は終りました…

 

この世の人々が織り成す様。

 

空蝉

 

 


私の轍

2010年 1445×700mm
2010年 1445×700mm

 

この店を通りかかった時

私はつい足を止めてしまった。

見慣れたものからそうでないものまで

全てのありとあらゆるモノが一見無秩序に、

美しく絡み合っていた。

 

遥か昔も現在も混在する

私の頭の中を、

風のように通り過ぎた風景は

眠っていた記憶を持ってきた。


風呂で遊んだぐるぐる回る玩具

スナック菓子に似ている絨毯の布地

蚊取り線香のにおい

ナイター中継…

 

何を見ても満ち足りていたのは、

過去が絡まって

良く見えなくなっていたからか。


解いて

美しく絡み直す。

 

人通りのない

眺めの良いこの場所で、

見えない片目をしっかりと開き、

不自由な片足をソファーに埋め、

今日も店主は

ハイライトを吸っている。

警笛

2003年 F40
2003年 F40

 

満月の日は新しい命が

たくさん生まれるそうだ。
しかしまた消えていく命も

多いらしい。

まんまるの二つのライトが

交互に点滅しながら、
灰色の金属音を轟かせた

開かずの踏切。


車も人も、

いらいらせぬよう、
おかしくならぬよう、
じっと耐えて待っている。

押し付けがましい警笛は

人々の安全を願う。

夜空の星も月も意識からは

かき消されていく。

夜空の満月に気付かない。

消えないかわりに
生まれない。


外待雨 ーホマチアメー

2010年 F30
2010年 F30

 

特定の人に降る雨

局地的な雨のことを

そう呼ぶ。

 

雨男が本当にいるならば

それは僕だった。

全ての行事という行事を

暗く分厚い雲の下で繰り広げ、

なにもかもを湿らせてきた。

仲間も家族も

僕を雨男と呼んでいた。

 

人が何かを待つ時

祈ることがあるだろう。

待たれる側も

待っていてくれと

願うことがあるだろう。

 

来ないでと祈り

降らないでと

願うこともある。

裏切られた時

期待外れな場合

祈りと願いをまぜこぜにして、

怒りや諦めに換える。

 

そうして出来上がった

雨男。

 

僕に降る雨は

外待雨。

 

雨を

待っている。

回想ライン

2010年 M30
2010年 M30

 

帰る

来る

行く

去る

 

つまりは

死ぬ

生きる

 

全ては

めぐり

回る

 


Water Express

2007年 M30
2007年 M30

 

空港からは今日も

今も

季節を飛び越え飛行機が飛んでいく。

 

アタッシュケースに

トランクに

沢山の想いを詰め込んで

空港へ向かう人々が見えた。

 

座席に座る疲れたサラリーマンは

羨ましそうに

恨めしそうに

紅いスカーフを睨み、

車内を行ったり来たりするビールの缶には

関心がない。

 

何百もの

人々は家路に着き、

飛行機は飛び立ち

缶は捨てられ続けている。

 

人々を乗せたline

黒い水面を飛ぶ。

ためいき

2008年 M20
2008年 M20

 

毎日まいにち
家と職場を行き来する人々。
次々と扉の中へ足を踏み入れてゆく。
そこかしこで吐き出されるためいき。
吐き出してまた
次へ進む。

毎日まいにち
水がゆらいでいる。


夕凪

2005年 F15
2005年 F15


風が止まった
海と陸の呼吸が揃った

朝と夕に一度づつ
凪が来る

すっかり落ち着いた漁船も
遠くに見える細い運河も
ゆっくりと碧の中へ浸ってゆく

まばたきをした後にだけ
暮れている事に気がつくような

ゆったりとした時間
やがて碧は漆黒へと変わり
陸からの風が海へと向かうころ
すべてが眠りにつく

夕凪のあとの風は
全てのイキモノの寝息から

生まれる

あまガエリ

2006年 M10
2006年 M10

 

後ろ足たくましく
鼓膜丸出しで
指の間に水掻き
平泳ぎ
下瞼を閉じ
指先に吸盤
オスは鳴く
食べ物はイキモノ

カエルが

帰りの電車を見送り
飛び込んだ


最終電車

2006年 1445×700mm
2006年 1445×700mm

 

花見川と名前が付いてはいるが、

正直花のイメージからは掛け離れた川が流れている。

サイクリングロードは延々と

50キロ上流まで続いていて、

少年の思い切った旅の

行き先だったその道の最後は、

ひょうたんのなる

鄙びた畑で終わっている。

 

列車から見ていた川が、

それだと気づくまで

すっかり忘れていたが、

旅の終りに出会った

あの切ない光景。

帰り道はなんと遠く感じた事か。

 

ただ帰りたい。

ペダルを漕いだ。

秋の夕暮れだった。

 

太平洋へ向かって流れる水の上を

直角に 終電が家へ向かう。

各駅の憂鬱

2006年 M10
2006年 M10

 

傘に付いた水滴と湿気で蒸した車内。
頼りないエアコンのドライ機能。
手摺りに掛けられたままの忘れられた傘。

憂鬱な風景

傘をさして水面を見つめ続ける。
疲れ
苛立ち
この労力は無意味だと自分にぶつけてはあきらめて、
また見つめては苛立って、
気持ちは萎んで。

それでも土手下にうずくまり続けた私は、
徐々に憂鬱の向こう側へ足を踏み入れてゆく。

濡れたシャツも
スケッチブックも
持ちづらい傘も
何も気にならない
どこまでも行ける
そんな気分になった。

何時間か経った頃
出会う一本の美しい線。
車窓から漏れた明かりが
雨粒で砕かれた一瞬に
ときめく。

どうやら
憂鬱の向こう側には
新しい景色が広がっているようだ。


どんこう

2005年 M10
2005年 M10

 

毎日色々な表情をみせてくれるものは

世の中にいろいろあるものなんだなと思う。

 

時間が変わり

天候が変わり

いつもの土手でまたうずくまる。

 

今日は良い天気だった。

風も穏やかで

ゆったりとした一日だった。

 

揺らぐ各駅停車には、

どんこう

という呼び名が

ふさわしい。

各駅停車

2006年 M10
2006年 M10

 

夕方
澱んでいた私は、
いつものようにフラフラと散歩へ出かけた。
ゆっくりと鉄橋を進む。
黄色い各駅停車が見えた。

乗客の表情がしっかりと見てとれるスピードで、
次の駅に止まる準備をしていた。

一駅づつ
丁寧に停車を繰り返しながら、
様々な人々を運んでいる。

その一人ひとりの頭の中を覗いたような残像が、
形を変え、
色を変え、
水面に浮かんだのを見たとき、
スッキリとした意欲が湧き出した。

手にとれない人の気配。

何を描くかで悩んでいた私が
何を表現したいのか真剣に見つめたこの頃。
今思い返せば、

長い制作人生の1テーマをここで手に入れたような気がする。


沼に咲く木漏れ日

2003年 M30
2003年 M30

 

『底無し沼だからあそこへ入っちゃだめ』

『危険ですので立入を禁止します』

よく悪戯をしたその沼を10年ぶりに訪れた。
遊歩道ができ、
桜は満開。
沼はコンクリートで固められていた。

遊歩道の脇には小川に似た流れが創られていたが、
行き場を無くした花びらがひしめき合っていた。


沈んだ花びら。
浮かんだ花びら。

あの底無しの沼に想いを馳せながら、
差し込む木漏れ日を見ていた。

空の涙

2003年 F20
2003年 F20

 

ポツ

ポツ

 

ぽつ


蝉時雨

2003年 1800×255
2003年 1800×255

 

カナカナカナ

蜩(ひぐらし)が夜を呼ぶ

声は重なり
混ざり
また沈黙する

左から
右から
カナカナカナ

ダンス

2003年 1445×700mm
2003年 1445×700mm

 

さっきまでたくさんの傘が咲いていた夜の繁華街は、

水溜まりと人々で賑やかだった。

ネオンが埋めつくす建物の中は、

きっと愉しみであふれているだろう。

 

私は水溜まりを飛び越えているところ。

次は左足で踏み切ろう。

今度は両足て着地してみよう。

 

また雨粒が堕ちて来た。

ネオンがゆがむ。

傘が咲きだす。

 

私は一人。


すすき(上)

2004年 M10
2004年 M10

 

そよぐ

すすき(下)

2004年 M10
2004年 M10

 

ゆがむ

 


澱み

2005年 M10
2005年 M10

 

大学を出てから何を描こうか考えていた。
ふらふらと散歩を繰り返す毎日。
慣れは真新しさを食べてしまうようで、
何を見ても心が反応しない。

どうやって抜け出せばよいのか…
とりあえず手を動かす。


今こうして久しぶりに対面すると、
澱んでいたのは水面ではなく、
私だったのかと思わずにはいられない。

よどみ

2005年 M10
2005年 M10

 

よどんだ自分がもう一枚

懐かしい


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